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美しきベルリンよ

更新 2024年8月9日

ベルリン工科大学の正門前です。

更新 2024年8月8日

1936年独逸のベルリンでオリンピックが開催される。オリンピックというスポーツの祭典が、政治という世界に接触した初めての大会であった。まあ、すくなからずも以前から国の威信にかけた祭典ではあるのだが。プロパガンダ的な接触があからさまに出てきたベルリン大会となっていた。しかしドイツの企画は拡大解釈してみてみると、オリンピックに一つの新しい祭典を目覚まさせるという企画をもたらしている。たしか、聖火のリレーもベルリン大会で始まったのではなかった?かな。もう一つ開催の会場にイベント式典を持ち込んだのもベルリン大会でった。この会場に、何処からともなく小型の滑空機が飛来し、会場の上空で曲技飛行を披露したのである。それも1機ではなかった。このイベント式開会式が今でも継続しているのであるが日本では会場の上空に五輪のループを描く様子が2度実行された。写真はベルリンオリンピックの一年後のメイン会場を撮影した佐藤先生の写真が少し残されていた。

更新 2024年8月7日

佐藤博先生のベルリンメインストリートの散歩でしょうか。動くものが見えないことが不思議です。まるで、時間がとまったみたい。この写真には一つのメッセージが込められました。先生の背景にご注目ください。かの有名なヒンデンブルグ門が遠くに映っています。

更新 2024年8月1日

佐藤博先生が2年間過ごされたお部屋のテーブルです。ベルリンのテアヘル家がひとときの憩いのお部屋でした。今思えば食事とかどうされていたのでしょね。先生とは長いお付き合いがありましたが、独逸の下宿先の食事の話や、シャワーの話などの日常のことは一つもお話はされませんでした。テーブルの上の置物は日本からお持ちになったそうです。テーブルクロスはテアヘル夫人がご用意されたものです。丸テーブルというのが、とてもやわらかい空間を作ってくれます。

更新 2024年8月2日

この写真もまたビンテージなものでした。何となくイメージは日本にも似たものがありました。しかしかなり強靭な作りです。シートなどの位置は高く、頑丈に固定され、背もたれもしっかりと。そこでこの機体もドイツに伺いました。

「この機体はツエグリングの初期のタイプですね、1937年頃はこの様にベルリンの街中の広場や公園に展示して子供たちが見て触って、空へ、飛行機へあこがれる体験教育をしています。近くには成人ではなく、青少年の活動隊(ヒトラーユーゲント)が説明役として常時張り付いていました」。ということでした。

更新 2024年8月4日

更新 2024年8月4日

ベルリン郊外にあった、オットー・リリエンタールの顕彰碑です。写真は1937年の姿で、撮影は佐藤博先生。実に立派ですね。当時のドイツが自慢していた滑空開発の父をたたえるだけの趣があります。しかし、この碑もベルリン大空襲で焼失したと聞いています。現在ネットでこの記念碑を探しますがヒットしませんがドイツの航空博物館には写真は残されています。ネガは無いそうです。オットー・リリエンタルの素晴らしいことは、試験飛行を特別に雇用した写真家に撮らせていたことです。のちのちの研究材料と、記念を後世に残すための処置であったそうです。なかなか真似できません。

更新 2024年8月6日

滑空機セコンダリーもベルリンの街の中で展示してますね。当時のドイツ政権もいろいろ考えながら青少年に空への夢を開かせていたのでしょう。