Skip to content

R-18 アカシヤ木工航空部

アカシヤ木工株式会社をご紹介したい。非常に興味深い会社 でありながら、その全容が全く見えないのである。残された実績は素晴らしいのであるが、会社の実態がわからないというもどかしさ。話はかなり昔に戻すとこから始める。              昔々出雲の国で出雲の神に差し上げる御神酒を造る杜氏に飯国という一族がいた。経緯は不明だが一族の中から丹波の国伊丹に移り住んだ飯国一族の流れが見える。なぜに伊丹であったかが見えないが、杜氏職・伊丹・六甲・聖水・という点が見えてくる。伊丹に入った飯国一族は伊丹で酒を造っている。当然白濁の濁りであるがこの伊丹の国でそれが清酒として生まれたことはあまり知られていない。当然伊丹の酒は献上され、将軍や天皇に献上され押しもされぬ天下一の酒となる。時代は流れ明治なって文明開化が押し寄せる。飯国一族の一部が宮大工の仕事についており、家具や神社仏閣で活躍していたが輸入の打弦楽器ピアノを見て「これからの木工の世界で充分作れる」という自信の元大正15年に伊丹に工場を起こし本社を大阪市東区に設立。名前を「内外ピアノ㈱」と言う。

 さて、内外ピアノの歴史が見えないが、昭和12年に内外ピアノが吸収されて「アカシヤ木工㈱」という会社が資本金100万円で始まる。当然出発はピアノ製造屋や家具、宮大工である。当時の広告にはアカシヤンピアノとか書かれる。さて時代は航空機や滑空機に視線が向く時代であり、国中の木工会社が航空機部品や滑空機製造を取り組んでいく。アカシヤは広大な敷地に工場があり楽器部門と航空機部門とに分かれていた。航空機滑空機は木工工作技術はあってもなかなか難しいものがあり、当時の先端技術で名機を作っていた川西航空機工業から2名の技術者の協力を得て滑空機製造に入る。

ここでまでは多くの書籍や公文書で解明できたのであるが、このアカシヤ木工㈱はアカシヤ設立後すぐの昭和13年に社名変更するのである。東洋金属木工㈱となりて代表取締・林 安繁。専務飯国重之助。内外ピアノからアカシヤとつながってきた飯国一族が代表になってないことは何とも気になるところである。本社は大阪市において工場は兵庫県川辺郡伊丹町北村に置いた。この住所は元のアカシヤ木工の住所であり、そっくりそのままが東洋金属の工場になっている。つまりアカシヤ木工株が商号変更しただけであった。

参考書類・日本工業新聞・朝日新聞・大阪市中央図書館・大阪市紳士録名鑑・大阪商工会議所・大阪市銀行取引所・国立国会図書館・日本生命地域図鑑など抜粋。

次回からアカシヤ木工㈱の製作機体を紹介しますが、アカシヤか東洋金属の製作かが見えないものが多く出てきます。また写真の貼り方は製造順や時系列には沿っていません。記載河邉。

初公開です。アカシヤ木工㈱航空部のテスト滑空士大久保正一氏です。機体はアカシヤ式積雲2型セコンダリ。アカシヤは自社開発の滑空機にクラス別に愛称を付けます。初級機プライマリーは層雲。中級機セコンダリーは積雲。高級機ソアラーは巻雲という名称です。シリーズを作る前提が見えます。アカシヤの積雲シリーズは1型から5型まであります。この写真は協会の松本陽一機体検証担当が大久保正一ご遺族の取材をし、お借りしたアルバムからの写真で、生写真です。機体デザイナーは山本勲と言われる。

初公開です。アカシヤ会・・・長年追跡していますと、どこかで誰かと巡り合って、驚愕の資料に出会うのですよね。戦後アカシヤ会が作ってありました。感謝。

2024年3月17日  朗報です。長年探索してきたアカシヤ・アカシヤ木工・アカシヤ木工航空部・東洋金属の新しい情報が目の前にあります。我々と違った視線で探求されていた複数の方々と横のつながりが出てきました。我が協会がもう一歩のところの壁が乗り越えられなかったところにあざ穴が開きそうです。お楽しみにお待ちください。