トピックスは本部、事務局周辺の出来事を貼ってみましょう。日々航空界や滑空界にまつわる話題をお届けします。
今回は事務局河辺に関連するものです。故河辺忠夫(私の父)が陸軍航空隊で勇ましく功績をあげる姿に触発された弟河辺忠博も入隊と航空隊を志願します。兄忠夫は「自分が充分にお国に奉公してるからお前は軍に行かず民間に行け」と言って航空乗員養成所に入れます。その後㈱大日本航空に入り、大陸航路、南方航路で活躍。当時軍部が民間機をチャーターしており優秀な航空士を選択させて軍部要人を運んでおりました。
1944年昭和19年2月12日、台湾から福岡の雁ノ巣福岡飛行時に向かった大日本虚空株式会社「五竜号」三菱式MC20型は九州特有の大陸型季節風に見舞われ、長崎県と佐賀県境の多良岳山頂を超えることができませんでした。
後年河辺忠夫は「俺が民間を推薦しなければ死なずに済んだものを」と後悔しておりました。
2024年2月12日長崎県諫早で第80回の慰霊会が行われます。地元のみなさまの心暖かな慰霊会なのです。