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九州帝国大学航空会史資料物語

佐藤博先生が残された史資料は大きく分けると2分類となります。一つは九州帝国大学航空会滑空の歴史、残る一つは独逸留学時代の資料です。その2つの資料を分類しますと、多くの細目となっていくのです。あまり分類する必要もないと思いますが、九州帝国大学航空会時代の資料を①から⑮まで、独逸留学時代の資料を①から⑪まで分けてみました。公開の写真枚数は少なくなっていますが実際は一つの項目には多くの写真が残されているのです。

その中で九州帝国大学以外の資料は「紛れ込みの写真」として扱っています。理由は題目でお分かりと思いますが「4・九州帝国大学航空会物語」となっていますので、九帝大を主軸にしたページとなりました。そこには九州帝国大学以外の資料があまり出てこなかったことが起因となります。しかし、今まで目にできなかった幻の滑空機も登場しますのでご期待ください。「噂の滑空機が実際にあったのだ」という「奇跡」が出現します。

お伝えしておくべきこと。

私が「佐藤資料」を初めて見たのは高校生のころ、箱崎の九州大学佐藤教授のお部屋でした。2度目は久留米工業大学学長室でした。ご自分で整理されるおつもりであったはずです。その後この資料を目にすることはありませんでした。今回58年ぶり?の再開でした。が、そのいでたちは「震災でボロボロ」のようなイメージなんです。当時九州大学から久留米に移動されるとき先生は臨時でアルバイトの女性に資料の整理などおまかせになっていまして、久留米の大学に移動されたときは学長室にきれいな形で梱包されたものを確認した私でした。縁とは異なものでその女性と後年「あらマー」という出会いが起きてくるのです。「続く」。河辺新一記