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②美しきベルリン

ベルリン・・・1937年頃の街など頭に描けない都市である。私は年代からして、「連合軍が徹底的に廃墟にした街」ということが一番に浮かぶ。また昔のベルリンの街などをネットで探してもなかなかヒットしない。

そこにきて佐藤博史資料に見る「ベルリンの美しさ」よ。考えられない街並みである。当時ここまで美しい街があったのかと頭をひねったものである。独逸・・ベルリン・・残したい都市であった。

下記写真説明 左のモノクロ  1937年4月から1939年4月まで佐藤博は渡欧し独逸留学。写真の撮影年月日はわからない。ベルリンにあったオットー・リリエンタールのモニュメントを拝礼。被写体男性は佐藤博である。木々の落葉からすれば時期は冬季だろう。ここで見逃されないのは、この顕彰碑が平地に建立されていることだ。ベルリンが空襲で壊滅される前の貴重な写真となってきた。

右のカラー写真の説明 ウエブ・ウキペデイアで「オットー・リリエンタール」を検索時に見つけた現在の顕彰碑である。これはリリエンタールが自作した高さ15メートルの丘の上に設置されている。リリエンタールをどれだけ検索しても1945年以前のモニュメントを探せなかった。

写真下段の説明  佐藤博の写真集の中には多くに人的交流の写真を見る。特にドイツの写真ではその特徴が著しいのである。が、しかし残念なことに今ではその御仁がどなたであるかが全く分からない。極少数は当時の独逸留学の名簿から少しは見えてきた。まあ、なんと多くの学者がドイツに入っていたのですね、これは驚愕です。東京帝国大学では工学、航空、医学など多くの部門の教授が独逸留学です。長崎から来た医者と書かれた写真もあるのですが、当時、長崎では長崎大学あったのかな。さてその中で是非皆様にごらんいただきたい写真を1枚選択しました。なんの変哲もない街中の佐藤博先生とご友人です。さてどこに特徴があるのか。実はベルリンには数か所に「日本人が集まるレストラン」があったようです。当然日本食がたべられたようで、船便で食材が来てたのですね。ドイツに留学した方々がお世話になる欧州の方をおもてなしできた本格的なレストランと聞いてます。この写真、まさしくその和食レストランで写真の右上に「あけぼ乃」と看板があがっているではありませんか。