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R-1 京都市立第一工業高校

  なぜ、京都市立第一工業学校を筆頭に挙げたのか。

 これには大きな理由があります。表題でお分かりのように教育機関です。我が国の滑空機の製造はその多くが民間の専門の製作所に限られていました。そのような社会状況の中で一つのポリシーを大切にされた旧制中学や高校・専門学校では、独自の滑空教育を目指し、滑空訓練と並行して滑空機製作に挑戦した学生を忘れてはなりません。しかしここが日本の滑空史の中から消えているのを紐解くとき、日本の将来を背負ってきた若人に、もう少し暖かな視線を向けてあげてほしかったと、残念に思うところです。端的に話せば「読者が興味を引かない世界にはページを増やすこともなかった書籍出版社や新聞社の責任を感じます。日本の世界大戦敗戦後に湧き上がってきた「航空機、戦艦」などの書物から意図的に外されてきた、この若人の情熱をどのようにとらえてあったのでしょう。

当時の方々はすでに鬼籍に入っていられますが、今回このページを介して少しですがご紹介をさせていただきます。