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④書簡

2024年3月21日   書簡である。書簡の公開には十分注意が必要である。今回は昭和13年皇紀2598年西暦1938年に書かれたものの書き出しの一部を公開する。大阪毎日新聞社社長奥村信太朗直筆の書簡は巻紙であった。美濃紙に毛筆の達筆である。昔の偉人はとにかく作法が美しい。当然佐藤博史資料からの抜粋となる。この書簡、中身を精査してみると・・・オッと、日本滑空史を塗り替えてしまうような重要な文言が並ぶ。まずどうしても解せぬことの1、投函が昭和13年1月15日と見える。??昭和13年の1月・・。佐藤博は昭和12年4月にドイツへ留学しているのだ。でもこの書簡受け取りは九州帝国大学佐藤博になっているのだ。佐藤はドイツ・・。多分九州帝国大学学長経由で出されたような感じが強い。

次に内容であるが、・・・とてもそのままでは記載が無理である。少し流れを精査し毎日新聞社の意見もお聞きしておく必要がある。公開にはしばらく時間をいただくことになる。文責河辺。