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⑧著名な滑空士

初回のご紹介にどなたを公開すべきか迷いました。佐藤博が自分のカメラで撮影した有名なグライダーマンの記録が残されています。全部ワッサクッペの世界大会で撮影されたものです。佐藤自叙伝ではドイツに入ってすぐレーンに飛んだとありますので1937年の世界大会でしょうね。多くの写真にスイス、フランス、ポーランド、イタリーの滑空機が映っていることから想定しています。そこでトップバッターに「ハンナ・ライチェ女史」をご紹介いたします。独逸、第三帝国、敗戦後も活躍した女性滑空士とくれば彼女しかいません。若きときは親のあとを継ぐ医者を目指していたのですが、友達から誘われて息抜きにグライダーに同乗したのが大きな起点となり、その運命はある男性との出会いで、彼女の運命が決まります。ハンナの中に眠っていた才能を引き出したのがかの有名なウオルフ・ヒルトその人でした。尋常ではない開眼でした。写真はドイツのDFSで開発されたオリンピアマイゼの操縦席の彼女。

下段写真2枚  ウオルト・ヒルトの写真です。彼のひょうきんさやユーモラス豊かな感性は知る人ぞ知るところです。表に出ている印象は厳しさを耐え抜いた滑空士のイメージがあります。それも間違いないところですがゆえにどこかでその苦しさを吹き飛ばす努力もしたはずです。ただし地上でのこと。さてヒルトと直で談義をしてきた佐藤談ではヒルトは「我々はワッサクッペのインデイアンである」と言葉の端端に出してくるので、その意味を考えると「我々がワッサクッペの先住者である」という意味を理解したのである。と佐藤が話しています。写真は佐藤博の撮影です。ヒルトが頭に刺しているのはワッサクッペに多く飛んでいるオオタカの羽。まさしく先住者を物語る写真ですね。ちなみにDFSハビヒトはオオタカとなりますね。

2024年3月21日  ハンナ・ライチェですね。彼女はどのような滑空機でも乗りこなす器用さがりますが、ホット主にDFSオリンピアマイゼに固守してます。この写真も佐藤博の撮影ですが昭和12年のレーン国際滑空大会の一幕です。ハンナの個人的な写真、つまりプロパガンダ的な撮影以外の貴重な写真でしょう。実はこのころのハンナが滑空界で少し頭角を出してきたころで、ワッサクッペ会場において「佐藤、是非君にに紹介しておきたい滑空士がいる」と言ってハンナライチエを紹介しています。佐藤がハンナに逢ってことがあると言う話があったので筆者はいろいろ訪ねたことがある。「イヤーワッサクッペの草原で甲高い声が良く通る女性でしたよ」が強く印象に残っている。「とてもメカニックに詳細な目が届く」ことや「納得いくまで説明を受ける姿」はその後の活躍を見ても彼女がもって生まれた性格がおおきかったのでしょうね」と。文責河辺。